リツアンSTCという怪しい派遣会社に転職した!お金がない元課長が派遣エンジニアになった結果

リツアンSTCに転職した

人間誰しも悩みがあります。そして、社会人になるとその悩みは増えます。例えばこういった内容です。

  • 自分の仕事がうまくいかない
  • 後輩の教育に時間を取られすぎて自分の仕事ができない
  • 上司とウマが合わない

僕にも悩みがありました。でも、それはとある会社に転職をすることでほぼ解決しました。その会社とは、エンジニアの人材派遣会社=リツアンSTC という会社です。

この投稿では、僕が悩んでいたことと、転職によってどうやって解消したのかを書いています。会社で悩みがある方、自分に当てはまるものがあるかもしれません。

ぜひともご覧いただければと思います!

僕が抱えていた2つの悩みについて

まず、僕が抱えていた悩みは以下の2つです。

  • お金がない(貯金ができない)
  • 家族と過ごす時間が少ない

特に1つ目のお金に関しては、かなり大きなコンプレックスにもなっていました。

悩み1:お金がない=貯金ができない

恥ずかしい話ですが、転職前の僕は貯金がなかなかできない人間でした。

実際、資産がどのくらいだったかいうと、社会人11年半で貯金が50万円~60万円で、あとは車1台を所有。家を持っているわけでもない。投資をするわけでもない。

散財をする人間でもないものの、かといって倹約家でもありません。お金の管理をどんぶり勘定でやっていたことが要因の一つです。

退職金がいくらかも知らないのに、将来は退職金もあるから何とかなるだろうという甘い考えでいました。僕が単純にダメな奴だったということも否定しません。

ただ、それとは別に年収の低さも関係しています

下記は、僕が転職する前年までの年収と月平均残業時間です。

  • 2006年~2008年 不明
  • 2009年 4年目 282万円(19.0時間)
  • 2010年 5年目 303万円(24.5時間)
  • 2011年 6年目 294万円(14.5時間)
  • 2012年 7年目 311万円(12.0時間)
  • 2013年 8年目 379万円(40.0時間)
  • 2014年 9年目 398万円(45.5時間)
  • 2015年 10年目 439万円(44.0時間)
  • 2016年 11年目 458万円(40.5時間)

7年目まで年収300万円がやっとの状態。ちなみに、2010年には二人目の子供が誕生していて4人家族となっています。

4人でこの年収で生活できたのは、6年目まではお客様が物件を借り上げていて、僕の家賃は一部負担で済んでいたからです。全額払っていたら、この時点で破綻していたの間違いなし。

会社としてもリーマンショックの時期も重なっているので、いろいろと言い分はあるでしょう。お金も大事だが、貢献できる場があることが大事だという話もされました。まあいわゆる「やりがい」ってやつです。

それはそれで理解はできますが、そんなことは僕にはどうでもよく、とにかく給料上げてくれと考えていた時代です。

収入は8年目からは多少上がってきています。これは中間管理職に昇進したことも関係あるものの、どちらかというと残業時間が大幅に上がった結果であり、素直に喜べるものではありません。

上記の年収と僕の適当な管理も相まって、なかなかお金が貯まらない状態に終始していました。

悩み2:家族と過ごす時間が少ない

もう一点の家族との時間が少ない点ですが、この状態に陥っていた理由は3つあります。

  • ブリッジSEで課長をしていた
  • 帰宅後に自社の仕事をしないといけない
  • 月1回の休日出張

以降で詳しく説明していきます。

ブリッジSEで課長

エンジニア業には、客先に常駐する働き方があります。転職直前の僕は、長崎県のあるお客様の事務所に常駐しながら、鹿児島の開発部隊に仕事を渡す役割を担っていました。

これは「ブリッジSE」と呼ばれるものですが、この仕事は多岐に渡ります。チームメンバーの開発案件の獲得、案件の見積、スケジュール管理、実際の開発業務、メンバーのフォローなどなど。

それに加え、僕は課長であっため、売上・利益も管理をする立場でした。具体的にはこんな感じです。

  • 日々メンバーの状況を把握して、フォローが必要であればフォローをする。
  • 毎週メンバーの報告書を確認し、上司に提出。毎月勤務表の確認をし、誤りがあったら指摘。
  • 各プロジェクトの売上や利益、状況、営業状況も把握しながら報告書を作る。

典型的な中間管理職で、実務をやりつつ上からも下からも要求を出されて、対応する日々を過ごしていたのです。

このような役割であれば、僕は開発業務を行わず、実務はメンバーに任せるべきで立場です。しかしながら、僕のチームはニアショアという切り口で特定の工程を安価で請け負うことを売りにしていました。

安価を武器にすると起こりやすいのは、品質低下と高稼働です。僕のチームも漏れなくその状態で、売上確保のために僕の実務を減らすことはできなかったのです。

帰宅後に自社の仕事をしないといけない

客先常駐という性質上、仕方ないことですが、自社の仕事は帰宅後にしかできません。

僕の場合は、自社内のメール対応や、週報やプロジェクトの売上管理の更新、報告書作成、勤務表の確認といった作業を自宅で行っていました。毎日1時間ほどは時間を費やしていたかな。

これらの作業も、社内にシステムがあればまだ効率的にできたかもしれませんが、そんなものは皆無。全ての処理を「ファイル+メール」で処理する、前時代的なやり方だったのも一因ですね。

月1回の休日出張

僕がいた会社は、毎月1回、土曜日の昼から本社で経営会議を行っていました。

住んでいた長崎から本社は特急と新幹線を乗り継いで、3時間半~4時間もの時間を費やします。大抵は当日の早朝に移動し、昼は会議、夜は食事会というスケジュール。食事会は好きだったのでこれはいいのですが、休みが潰れることに対して妻がグチっていたのは容易に想像できるでしょう。

一応この会議には手当が支給されていたものの、それを差し引いても割に合う仕事とは言えなかったです。

転職に至るまで

ここまで読めば、僕が割と社畜気味に働いていたのが分かってもらえたと思います。それもこれも、地道に頑張れば収入も上がり、家族を楽にすることができると思っていたからです。

でも、実際は仕事は多いのに貯金も増えない。辞めたくても辞められない・・・そんな負の循環に入っていました。

そんなときに以下のことが起こりました。

  • 業務確保困難による自チームの縮小
  • チームを存在させても幸せではないと気付く
  • 出世も会社も諦めた

業務確保困難による自チームの縮小

僕が11年目の年、担当するクライアントからの仕事の確保が困難になりました。原因は、業績悪化による開発費用の予算縮小。

僕のチームにはパートナーさんも5名ほどいましたが、数名は契約を終了せざるを得なくなりました。クライアントの業績は僕たちが関与できるものではないので、運が悪かったとしか言いようがありません。

今のクライアントの業績が悪くなったののであれば、別のクライアントの業務をこなせば良いだけです。僕がいた会社も、別のクライアントはちゃんといました。

ただ、会社の組織が縦割りで、一部署で一クライアントの体制が敷かれていました。会社のシステム的にも、長崎在住という物理面でも、僕にはこのお客様に依存する他なかったのです。

部署移動も頭によぎりましたが、そうすれば僕自身のチームはなくなります。チームをなくした人間は失敗した人間であり、以降の出世は遠のきます。

この会社でやっていくには避けなければならない事態。だから僕の選択肢は、チーム縮小ながらも存続させて、拡大の機会を伺う以外なかったのです。

チームを存在させても幸せではないと気付く

業績の悪化の影響を食い止めるため、営業のためにとある場所に出張することになりました。僕は出張は割と好きな方で、この出張も最初は楽しみにしていました。

何日か客先を訪問して商談は順調に進み、2人月の仕事をいただけました。これで繋げそうだと手応えを感じたものの、ホテルに戻って抱いたのは大きな違和感。

出張先は長崎から5時間ほどかかる場所でしたが、それほど時間をかけても、もらえる仕事は1~2人月の小規模案件。これから、ほぼ毎月のように出張が必要かもしれない。案件によっては、出張先に何日も滞在が必要。

チームのためにはやらないといけませんが、僕にとって大きな負担でした。

当然、今まで以上に家族との時間は減るし、かといって特段給料が上がるわけでありません。業績は下がっているので、むしろ将来的にはマイナスにされかねなかった状況。

このような状況でチームを存続させて率いていくのは幸せかと聞かれたら、明らかにNOといえる状態でした。

出世も会社も諦めた

よくよく思えば、僕は自社のオフィスで居心地の良さを感じたことがありません。お客様から請け負った仕事以外の社内業務が回されるし、本業に影響を与えず並行してやれという無茶振りも多かった。

だから僕は、7年目で一旦鹿児島の本社へ異動になりましたが、10年目には自ら長崎異動を志望しました。長崎に誰かいてほしい会社の願いと、本社にいたくない僕の思いは一致。異動の話はとんとん拍子で決まりました。

異動前、僕の部署が薄利なのは分かっていましたが、何年か地道に頑張れば変わるかなと淡い期待を抱いていました。

でも、様々な工夫をしてきても、無理なものは無理です。もっと自分が戦いやすい場所に行くしかないと決意し、出世を諦め、会社に残ることも諦めました。

新卒で入ってずっとやってきて、課長までなれたことは一つの誇りで、感謝の気持ちもありました。部下には申し訳ない気持ちも当然ありました。

でも、上司が息苦しさを感じる会社で部下に頑張れよとも言えませんよね。まずは自分が幸せにならないといけないのです。

結論:会社が与えたがる「やりがい」はいらない、まずは給料

転職活動に踏み切った僕は、定番の転職サイトに登録していくつかの企業を眺めたものの、どれも似たような感じにしか見えませんでした。何かしっくりこない。

今でこそ、エンジニアのキャリア論なども把握しているものの、転職当時の僕はどういったエンジニアになりたいかなどのビジョンも特に持っていませんでした。低い年収に飼い慣らされていた僕は、ひとまず年収500万円以上あれば・・・くらいの感覚。

そんな中、リツアンの野中社長のブログを発見します。

http://rstc928.hateblo.jp/

当初は暇つぶし程度で読んでいましたが、転職活動をする僕の心に突き刺さった文章があります。

リツアンはモノづくりの会社ではない。
仕事を紹介することしかできない派遣会社だ。
エンジニアの彼らに面白い仕事も、夢があるプロジェクトも、やりがいのあるテーマもぼくたちは提供できない。

ぼくたちができることは、ひとつだけ。
エンジニアを正当に評価すること。それしかできない。
だから、リツアンはエンジニアの給料にこだわる。

「本当の話なの?」と思いつつ、ブログに掲載されているリツアン社員の給与を実際に見てみました。僕の常識ではあり得ない金額が掲載されていました。

正にこれだと衝撃を受けました。僕が求めていたのは、会社から強制的に提供される「やりがい」なんかではなく、お金だと確信したのです。そもそもお金がもらえるから仕事にやりがいも感じるのだと。

出世に頼らず収入を増やすことができ、人に振り回されることなく個人で働ける。望んでいた条件でした。

世間から派遣と笑われても構わない。まずは稼げることが大事。僕はリツアンに入社することを決意し、エントリーボタンを押しました。

リツアンSTCへ入社して変わったこと

リツアンの営業と受け入れ先の企業との面談を経て、現場が決定。晴れてリツアンに入社することが決まりました。

ITの技術者として10年以上の経験もあったことから、転職活動は約1ヶ月程度で終了。タイミング的にも良い時期だったようです。

リツアンに入社したことで、僕の悩みはどう変わったかを記述しておきます。

貯金ができない→3年で約500万円の資産

まずは貯金ができなかった点はどうなったかについて。3年ちょっとで約500万円の資産を積み上げることができました。

年収は以下のように変化しています。

  • 転職直後:前職より年収100万円アップ(年収 約550万)
  • 2020年:前職より年収250万円アップ見込み(年収 約700万円)

こちらが2020年6月のときの給料。

ツイートしたのは特別に給料が多い月ですが、それを差し引いても良い金額になったと我ながら思っています。2022年で150万円近くアップしているのは、プロフェッショナル契約(プロ契)に変わったことと、現場を変えて単価が上がったことによるものです。

上記の変化により、貯金も大幅に増やすことができています。傍から見れば大したことないかもしれませんが、100万円を貯金することすら難しかった僕にとっては本当に大きな収穫です。

家族と過ごす時間が少ない→劇的に増加

家族と過ごす時間がない点はどうなったかについてですが、これは劇的に増加しました。

なぜなら、リツアンには社内の仕事はほぼ存在しません。勤務表を書くか、休暇申請を出すくらい。帰社日なんてものもありません。

残業も減りました。

転職直後の現場:基本は定時退社。残業は月10時間を超えたことがない
現場2:10時間~20時間
現場3:基本は定時退社。残業は月5時間程度。

妻のグチも減り、僕の気苦労が緩和されたのは言うまでもないでしょう。

最後に:リツアンSTCへの転職は正解だった

派遣会社やSESは負のイメージが先行し、そこで働いている人も不幸な人が多いと想像されがちですが、リツアンはそんな感じはありません。エンジニアが前向きに仕事を取り組んでいます。

繰り返しですが、僕は貯金も増えたし、年収も増えたし、自分の時間も増加しました。以前より幸せになったかと聞かれたら、間違いなくYESと答えます。

もちろんすべての人が満足できる会社とはいいません。

契約を切られるリスクもあるから、スキルの向上は必須。案件ガチャ、現場ガチャが存在するのは間違いなく、引きの強さも必要です。

そんな側面はありつつも、自分が望む環境を選択できることは主張しておきます。現場を変えて単価をアップして収入を上げるも良し、いろんな現場を回って働きやすい環境を模索するも良し。

僕自身、リツアンにいつまで所属するかは分かりません。定年までいるかもしれないし、別の何かをやりたいと思うかもしれません。

ただはっきりしているのは、リツアンはエンジニアの味方で、残ることも離れることも応援してくれることです。

この記事が転職を考えている人にとって、少しでも役に立つことができれば幸いです!

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